2014年06月02日

親として考える

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【写真は産経ニュースWeb版から】

子供の虐待が後を絶たない中、また子供が犠牲になった事件が発覚しました。
神奈川県で、当時5歳だった男の子の遺体が白骨化した状態で見つかった。
逮捕された父親は、育児放棄して5歳の息子を餓死させた疑い。
供述で「新しい彼女が出来て養育を怠る様になった」と話しているらしい。

いや、もう、何なのか?理解に苦しみます。
自分の子供ですよね。
それもまだ5歳(当時)ですよね。
どうしてそんな事が出来るのか?
全くもって理解に苦しみます。

5歳の男の子って、一番過敏な時期です。
やんちゃ盛りの反面、精神的に成長する第一段階。
しっかり親がサポートしてあげなくてはならない時期です。
そんな時期に、一人で家にほったらかしにして、餓死させてしまうなんて、どう考えても理解出来ません。

自分の息子ですよね。
どうして自分の息子に愛情がわかないのでしょうか?
例え父親がこんな状態だったとしても、他の親族は何も気づかなかったのでしょうか?
この父親の家族構成までは解りませんが、普通であれば、おじいちゃん・おばあちゃんがいるもの。
孫の顔を見たいとか、電話で話したいとかあるハズです。
そんな環境も無かったのでしょうか?

男の子が死亡したと思われる時期から、遺体発見に7年もかかっている事自体も、本当に不思議です。
その間、誰も異変に気づかなかったのでしょうか。
小学校に入学していない時点で、見つかってしかるべきだったと思うのですが、何故発見出来なかったのか?
不思議なことだらけです。

たったひとりぼっちで、餓えに苦しんで、寂しさと悲しさの中、息を引き取った男の子の気持ちを考えると、胸が張り裂けそうになります。
男の子にすれば、唯一頼れる存在の父親。
しかし、その父親は新しい彼女に夢中で、自分を捨てた。
それを男の子が理解していたとは思えません。
だから最後の最後まで、男の子はお父さんが帰って来るのを信じて待ちながら死んで逝ったのだと思います。
同じ父親として、あまりにも身勝手な行動に憤りを感じずにはいられません。

子供の虐待のニュースが流れる度に思います。
「何故神様はこの親に子供を授けたのだろう?」と。
子供が欲しくて欲しくて、それでも授からない人が居る中、せっかく授かった子供に愛情を注げない親。
どうしてそんな人が親になってしまったのだろう?

私もそんな人達を批判出来る程、立派な親ではありません。
イライラして子供に当たる事も日常茶飯事だし、立派な子育てが出来ているとはとても思えません。
でも、子供達のためなら自分を犠牲にする覚悟はあるつもりです。
自分の事よりも、子供達の事。
第一に子供達の事を優先して考えます。

子供に対して、どんなに憎たらしい気持ちになっても、寝顔を見れば癒されるし、頑張っている姿を見れば愛おしく思います。
それが親だと思うのですが、虐待をしてしまう人達はそんな気持ちは無いのでしょうか?
虐待をしてしまう親全てがそうであるとは思いません。
本当に子育てに追いつめられて、つい子供に手を挙げてしまう。
それがエスカレートしてしまう場合もある。
そのような場合は、周囲が救いの手を差し伸べる事で、何とか救う事が出来る。

しかし、今回の場合は、親である事を放棄して、自分の欲望だけに走り、自分の子供を死なせている。
死ぬ事を解っていて、子供を放棄しているのです。
これは殺人と言えるでしょう。

この手のニュースが流れる度に、「あぁ〜またか」と思う。
そして「あぁ〜またか」と思う自分にハッとする。
この異常な出来事を日常的に受け止めてしまっている。
親が子を死なせる。殺してしまう。
異常な事である。
しかしそれに異常性を感じなくなりつつある。

悲しい事件が多過ぎて、それを受け流していかなければ、自分自身も悲しさに溺れてしまいそうになる。
自分の身を守るために、「あぁ〜またか」と受け流してしまっているのだろう。
でも、それは異常を日常と勘違いしてしまいかねない。
辛くてもしっかり受け止める事が必要なのでしょう。

もう二度とこんな事件は起きてほしくない。
毎回毎回そう思いながらニュースを見る。
家族とは何か。親子とは何か。もう一度しっかりと考えなくてはならないのかも知れません。
立派な親で無くても良い。子供を愛する親でありたい。
私はそう思います。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:06 | Comment(0) | 私の思うこと
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