2013年05月08日

父親として

130508.jpg

数日前に次女の託児所でのお誕生会の事をつぶやきました。
その事について、コメントを頂いた方の内容に、とても考えさせられました。
子供の頃にお誕生日を祝ってもらえるのは、決して当たり前ではない事。
幼少期にお誕生日を祝ってもらう事ができない人たちがいる現実。
そこへ第三者が介入しても、何も解決できない事。
思春期を過ぎて大人になっても、深く悲しい過去を背負っている事。
そんな人たちがいる事を考えさせられました。

私たちは日頃、当たり前だと思っている事が、実は本当はとても幸せな事なんですよね。
ついつい忘れがちですが、家族が揃って誕生日を祝う事ができるのは、最高の幸せなのです。
改めてその幸せを考える事が出来て、とてもありがたいコメントでした。

そのとき、ふと自分の事に置き換えて気づきました。
私も子供の頃に満たされなかった欲求を、今親となってみて行っているのかも知れない。
それは家族としての温もり。
特に父親に対する欲望。

私の父親は、私が物心ついた頃には、病を持っていました。
それも心の病。つまりは精神病です。
仕事もしていませんでしたし、小学4〜5年生くらいまでは別居していました。
だから私にとって、父親と言う存在は、とても嫌な存在でしかありませんでした。

中学生の頃までは、心底おやじが嫌で嫌で、おやじを反面教師として見ていました。
「こんな大人になってたまるものか」そんな目で見ていました。
高校に入り、自分自身が少し考えが大人になってくると、今度はおやじを哀れと見る様になりました。
一家の主として、本来であれば頼られる存在。
しかし、家族の誰からも頼られる事無く、ただただそこにいるだけの存在。
「なんて哀しい男なんだろう」そんな目で見ていました。

社会人となって離れてからは、おやじと言うよりは、年老いた一人の男として見ていた感があります。
おやじの人生はおやじの人生。
決して楽しい人生ではなかったかも知れないが、家族と共に暮らし、4人の子供がそれぞれ自立しただけでも、おやじにとっては幸せな人生だったのではないか。
9年前に他界した時にそう感じました。

私が幼少の頃に出来なかった事。
それは父親との交流。
父親に連れられて遊びに行ったり、いろんな事体験したり。
普通の家庭では普通に出来たいたであろう事。
それが私には出来ない事でした。

母親一人での子育て。
遊びに連れて行く余裕等ありません。
家族旅行なんて一度も無かったし、夏休みも親戚が海水浴に行く時に、一緒に連れて行ってもらうくらい。
それでも母親が大変なのは、子供なりに解っていたので、決して不満は口にしませんでした。
時々「どこか連れてって」と、わがまま言った事はありましたけどね(笑)

だからこそ、父親となった今。
家族を持った今。
子供達にいろんな事を経験させてあげたい。
家族でいろんな思い出を作りたい。という欲望が湧き出ているのかも知れません。

自分がおやじにしてもらえなかった事を、子供達にしてあげたい。
それはそのまま自分のためでもあるのだと思います。
子供が喜ぶ顔が見たいとの想いは、そのまま自分が喜びたい現れなのでしょう。
そして家族でいろんな思い出を作る事で、子供の頃に出来なかった夢を叶えているのかも知れません。

決して楽な暮らしではないけれど、こうやって家族で誕生日を祝ったり、遊びに出かけたり。
本当にとても幸せな事なんだと、改めて実感した次第です。
人間って、ある程度の事が日常化すると、それが当然の事になってしまいます。
しかし、本当はとても恵まれた事で、幸せな中で生きている。
本当は日々、その事を実感しながら生きて行かなければいけない。

でも、やっぱり、ついつい不満を持ち、さらに欲望を持ちます。
不満は自分への反省点、欲望は将来への希望と置き換え、今を感謝して前向きに生きたいですね。
自分が叶えられなかった想いを、今、父親として叶えられている事は、本当に幸せな事であると感謝します。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:22 | Comment(0) | 私の思うこと
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。