2012年10月29日

命は命で償うべき

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【写真はSankeiWebから】

本日、ある事件の裁判で「無期懲役」が言い渡されました。
昨年の3月3日。ひな祭りの日に行方不明になり、翌日遺体で発見された3歳の心(ここ)ちゃん。
このニュースは同じように幼い娘を持つ私には、本当にショッキングな事件で、鮮明に覚えています。
スーパーのトイレに行ったきり行方不明になってしまった。
親としてはまさかトイレで誘拐されるなんて思いもしなかったでしょう。

この後、東日本大震災が発生し、記憶の中で薄らいでいましたが、今回の裁判で再び当時の怒りが込み上げて来ました。
心ちゃんのご両親は極刑を望んでいました。
死刑です。ご両親のお気持ちとしては当然でしょう。
愛する愛娘を、いたずら動機で玩ばれ命まで奪われてしまったのです。

しかし、検察の求刑は無期懲役。
そして裁判の結果も無期懲役でした。
この手の事件が起きるたびに、いつも憤りを感じます。
幼い子の命を遊び半分で奪っておきながら、その犯人は生きながらえる。
被害者の親の気持ちになれば、どこに怒りをぶつければ良いのか。

さらに腹立たしく思うのが、加害者の人権を重視する意見です。
「犯罪者にも人権がある」
私はこの言葉が大嫌いです。
犯罪を犯した時点で、私は人として外れていると思う。
よって犯罪者に人権など無い。

特に今回のように、幼い子供の命を、自分の欲求のためだけに奪うような犯罪者は人権なんて無い。
人の道を外れていながら、自分にだけは人としての権利を要求する。
身勝手としか言いようが無い。
そしてそれを擁護する人々は、自分が被害者となった時も、同じ様に言えるのか?と問いたい。

死刑反対の人の言葉に、「国家が人の命を奪う事は許されない」という意見があります。
では、犯罪者が人の命を奪う事は許されるのですか?
誰だって人の命を奪う事は許される行為ではありません。
誰だって死刑なんて執行したい訳ではありません。
しかし、人の命を奪った人間は、自分の命でもって償うしかない。
遺族にとっては、敵討ちをしたいくらいの心情です。
それを死刑という形で行うから、まだ遺族は少しばかり救われるのです。

犯罪抑止力の意味からも、死刑は廃止してはいけない。
そして何よりも、犯罪者を作らない社会を築いていかなくてはならない。
それにはやはり一番が教育でしょうね。
行き過ぎた個人主義、自由主義教育から、社会のために生きる事を教える様にしないとダメだと思います。
人は世の中に貢献している事、自分の存在価値を感じる事で、生き甲斐を見つけ出します。
世の中のためになる人になる教育をする事が大事だと思います。
そんな人間が増えれば、おのずと犯罪者は減って行く。

第二に地域社会の再構築。
昔は地域が大きな家族のような存在でした。
村の子供は皆顔見知りで、お互いに助け合って生きていました。
しかし、今は地域は単なる集合体になっています。
小さな核家族の集まりが自治体として存在している。
全く昔と同じような地域社会は無理としても、地域の中で助け合って生きる環境を構築する事が重要だと思います。

第三は防犯意識と環境作り。
日本人は人を信じる事から始まります。
それは実に正しくて美しい事だと思う。
しかし、そこにつけ込んで犯罪を犯す者がいる。
私たちは人を信じる心を持ちつつも、どこかで疑いの目も必要なのだと思う。
犯罪が起きないような環境づくりをしながらも、防犯の意識と環境は整える必要がある。

ひとつの事件から、考えさせられる事が山ほどあります。
あまりにも残忍な事件が多くて、私たちの意識もついつい麻痺してしまいかねません。
しかし、これはいつ自分自身に降り掛かって来るか解らない。
この社会を変えて行くのは私たちであり、少しでも良い形で子供達にバトンを渡さなければなりません。
このような事件は二度と起きてほしくない。
誰もが願う事です。
私たちの意識が少し変わるだけでも、社会は変わって行きます。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと
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