2012年02月20日

光市母子殺害事件と死刑廃止論

長い時間をかけた裁判がようやく決着しました。
山口県光市の母子殺害事件で、元少年に死刑判決が出ました。
私は「死刑に値する」と考えていたので、この裁判結果に納得しています。
しかし、納得していない人もいる事は確かです。

この事件は最初は無期懲役の判決でした。
これまでの事件の裁判を見ても、無期懲役で仕方ないと言うのが、当時の大方の見方だったと思います。
少年犯罪で死刑になる確立は、ほぼ100%無いと言っても過言ではありませんでした。
確かに悪質な凶悪犯罪である事は解っていても、「少年」と言うだけでその後には「更生」の二文字がついてきたのです。
更生する可能性がある限りは、死刑は絶対に有りえないと言うのが、当時の少年犯罪に対する暗黙の了解のような雰囲気がありました。

逆にそれを逆手に取って、悪質な少年犯罪が起きた感も否めません。
「少年(20歳未満)であれば、どんな犯罪を犯しても死刑にはならない」
そんなメッセージを出していたと言えるでしょう。

しかし、そんな世論と戦ったのが、遺族である本村さんでした。
最愛の妻と、まだ一歳にもならない幼い娘の命を、一瞬にして奪われました。
それも何の因果関係も無い、何の接点も無い、一人の少年によって。
最初は憎しみと怒りと悲しみと、感情のままに訴えていた本村さん。
でも、途中からは実に冷静に真っすぐに、この裁判を戦って来た。

少年犯罪の罪と罰の有り方。そして極刑の有り方。
それを社会に投げ掛けて来た裁判だったと思います。
本村さんの真っすぐな気持ちが、今回の裁判の結果に繋がったのだと思います。
自分自身に置き換えて想像しても、とても耐えられない辛さであっただろうと思います。
私なら感情のままに怒り悲しみ、憎しみ恨み、そしてそのまま沈んでいったであろう。

この事件は途中から「死刑廃止論」に利用された裁判になった感があります。
突然21名もの弁護団が被告について、様々な弁護を展開しました。
しかし、あまりにもおかしな供述や、不誠実と思われる対応に、世間の目は厳しさを増しました。
私にはあの弁護団が、この事件を「死刑廃止」の看板にしたかった意図があるように思えて仕方有りません。
元少年の弁護をすると言うよりは、死刑を回避して死刑廃止の流れに導いて行きたかったのでしょう。

あの手この手を使って、時にはドラえもんまで話に出して、元少年の死刑を回避しようとしました。
しかし、やればやるだけ逆に世間は「おかしい」と声を出していたように思います。
対照的に本村さんは、実に淡々と誠実に対応をしていました。
自分から意見を発するのでは無く、社会にどう判断するか考えてもらうように導いていた気がします。

死刑については、本当に意見が分れる事だと思います。
死刑廃止の意見も納得できる部分はあります。
しかし、私は現時点では死刑廃止をすべきでは無いと考えます。
やはり人の命を奪ったら、自分の命をもって償うのが本筋だと考えます。
その上で事件の状況や人間関係、精神状態など様々な要因を加味して判断すべきです。

人の命を殺めたら、自分の命をもって償う。
その事が解っていたら、犯罪の抑止力にもなります。
「少年であれば例え人を殺しても死刑にはならない」
これまでの少年犯罪の裁判結果からすれば、凶暴な悪質犯罪が起きて然るべきだと、私は思っています。

死刑は誰もが望むものではない。
誰しも死刑によって、人の命が奪われる事を了とはしない。
しかし、人の命を奪い去った者は、自らの命をもって償うしかない。
それが残された遺族へのせめてもの償いである。
私はそう考えます。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと
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