2010年10月26日

現代日本は年中神無月

一気に寒くなりました。
関西では本日、木枯らし一号が吹いたようです。
秋らしくない気候から、一気に冬の気候へとなりました。
今年は本当に季節の変わり目が極端です。

もう10月も終りに近づいて来ましたね。
10月は神無月です。
神様が無い月なのですが、日本中の神様が島根県の出雲大社に集まる月。
日本中の神様が出雲大社で、話し合いをするために、神様がいなくなる。
島根県以外は神様がいなくなるので、神無月と呼ばれています。
でも神様が集まる島根県では、神在月と呼ぶのだそうです。

もう神無月も終りに近づいていますが、神様の話し合いは進んだのでしょうか?
これからの日本を、世界を、どのようにすべきか、また人間をどう導くか、いろいろ話したのでしょうね。
日本中の神様が集まるのですから、それはそれは盛大な話し合いだと思います。

日本は八百万の神と言うほど、至る所に神様が存在します。
山の神、海の神、川の神、田の神、家を護る神、そこら中に神様が存在します。
一方、海外では神と言うと、整地や教会に出向かなければなりません。
日本も出雲大社や伊勢神宮等は、聖地であり、そこに足を運ぶ事で、大いなる神の存在を感じます。
しかし、通常の生活の中にも様々な神様がいて、常に神様を感じながら生活していました。
日本人の生活は、常に神様と共にあったのだと思います。

ところが、近年はどうでしょう?
神様=宗教になっていて、神様の存在なんて言うと、完全に白い目で見られたりします。
宗教そのものが怪しいものとして認識され、神様もどうように架空の存在に見られています。
ひとつはオウム真理教等の新興宗教の存在が大きいと思います。
本来の宗教とは大きくかけ離れてしまい、宗教団体から犯罪組織へと変貌しました。
思うに宗教は、人を崇めるようになったらおしまいです。
あくまでも人は人、生き仏や生き神等と人を崇めると、その人は邪神へと変わっていきます。

ちょっと話しが宗教論になってしまいました(^^;)
日本人にとって、神様という存在は本当に身近なもので、生活の一部になっていたと思います。
無理に「信仰しよう」と身構えるのでは無く、朝目覚めたら手を合わせ、ご飯の時も手を合わせ、生活の全ての事に感謝して手を合わせる。
それが神様に感謝する行為だと思います。

そして収穫の秋に、神様への感謝を形に現して、収穫祭を行う。
取れた稲や野菜を奉納する。
それが本来の日本人の神様との生活でした。

近年は私も含め、多くの日本人がそんな事を感じずに、日々過ごしていると思います。
お米が食べれるのは当たり前で、そこに神様の存在を感じる事は少ない。
なるべく意識して、子供達にもお米の大切さ、食べ物の大切さを説きますが、私自身ついつい忘れがちです。
不自由なくご飯が食べれる事。
いつでも蛇口をひねれば、水が出る事。
暖かいお風呂に入れる事。

全ての事に感謝する事。
私達の生活の中で、頑張って働いてくれる人に感謝。
そしてその上で、もっと大きな存在として、自然の恵・神様への感謝。
それをなるべく子供に話したいと思います。
毎日、毎日、日が昇り日が沈み、一年の間で春夏秋冬があり、自然の恵が得られる事。
異常気象や気候変動はあれど、私達が生活できる環境が続いている事。
これは人間の努力では出来ない、神様の存在のお陰です。

当たり前の事が当たり前に続いている事。
これこそが神様の守護であり、私達人間が感謝する事だと思います。
私達日本人は、当たり前の事に感謝する事を忘れてしまっています。
出雲大社で神様が話し合いをしていますが、私達人間も神様の話し合いに応えられるように、心を入替える必要がありますね。
お天道様は見ています。
日々の暮らしに感謝して、真当に生きましょう。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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