2007年04月02日

死の恐怖

今日は何やら煙っているな〜と思っていたら、やっぱり黄砂だったんですね。
そのせいか、妙に目がしょぼしょぼして咽がイガイガしていた一日でした。
明日も黄砂が舞うようです。花粉症の人には花粉と黄砂のダブルパンチでしょうね。
しっかり対策して下さいね。

さて、話しはいきなり変わりますが、皆さんは子供の頃に「死んだらどうなるんだろう?」って考えた事ありますか?
おそらく皆一度は考えて悩む事だと思います。
私も幾つだったか忘れましたが、「死ぬ」ということがとても不思議で考えていて怖くなったことを記憶しています。

子供の頃にいろんな事を分かり始め、学んでいく中で「何故人は死ぬのだろう?」という疑問にぶつかるのだと思うのですが、本日、息子もその疑問にぶつかったようです。
しかも突然に。

皆でお風呂に入ったのですが、息子は一番先にあがりました。
次に私があがったのですが、いつもお風呂上がりに着替えもせずにテレビを見ていることが多く、今日も同じように裸でいた息子。
「また着替えてない、早く着替えなさい!!」と私が叱ると、何故か不安そうにつぶやいています。
“何か変だな”と思いよくよく聞いてみると「死ぬなんて嫌だ、死にたくない。」と小声で泣き出しそうになっています。

一緒にお風呂に入っている時は、全くそんなことはありませんでした。
すぐに“おかしいな”と思ったので「どうした?何があった?」と聞きました。
すると「おじいちゃんが死んだ時の事を思い出した」と言うのです。
奄美のおじいちゃん、私の父が亡くなった時のことを思い出したようです。
3年前のことで息子が4歳の時のことですが、記憶に残っているようです。

「何で人は死ぬの?死んで焼かれるのなんて嫌だ。違う世界がいい。」
こんな事を言い始め、目には涙を浮かべています。
ここはしっかり話しておいた方がいいなと思ったので、息子の着替えもそっちのけで、話しを始めました。

父:人はいつかは死んでしまうもの。お父さんもお母さんも死ぬのは嫌だし、死にたくはないよ。

息子:でも、お父さんもお母さんも死んじゃうんでしょ。そんなの嫌だ。

父:そうだね。でもそれまでの間、まだまだ沢山沢山生きていくよ。Y(息子)くんやM(娘)ちゃんと、皆で楽しく生きていくよ。YくんやMちゃんが大きくなって大人になって、結婚して子供産まれたら、その子供を可愛がりたいから、いっぱいいっぱい生きるよ。

息子:どうして命は一つしかないの?死んじゃったら終わっちゃう。

父:一つしかないから大切にしなくてはいけないの。命がいっぱいあったら大切にできないでしょ。たった一つしかないから大切に生きる。大切に生きるために神様は一つの命しか与えないの。

息子:死んだら何も無くなるの?何も出来ないの?

父:それはお父さんにも誰にも分からない。でも死んでも魂は残るよ。

息子:魂って?

父:Yくんの心だよ。楽しい・嬉しい・悲しいって思う気持ち。だから身体は無くなっても気持ちは残るんだよ。

息子:おじいちゃんも魂は残ってるの?

父:そう、だからおじいちゃんはいつでもYくんのことを見守っているよ。だからYくんも、おじいちゃんに毎日あったことを「ありがとう」って伝えるんだよ。

こんな話しを約30分ほど、息子と話しました。
何も明確な答えは出していませんが、死ぬ事は怖いけど、それよりも一生懸命生きていくことが大事なんだということを、私なりに話しました。
息子がどれだけ理解したか分かりませんが、話しをしていく内に徐々に元気になり、恐怖心が抜けていったようです。

何故突然息子がこんな事を言い始めたのか。全く分かりません。
数分前まで一緒にお風呂に入っていたのに、突然「死の恐怖」を考えたのでしょうか?
もしかしたら奄美のおじいちゃんが来ていたのかも知れません。
突然おじいちゃんが亡くなった時のことを思い出したという事。
今月の9日には3回忌です。息子を通じて私に何か伝えたかったのでしょうか。

息子の突然の死に対する恐怖心。
本当に突然で私もビックリしましたが、お陰で命の大切さ、そして命は動物にもあるということも伝えることが出来ました。
さらに、食べ物を食べると言うことは、動植物の命を頂くという事。
だから食べる時には「命を頂きます」ということで、いただきます。
食べ終わったら、「美味しく頂きました。ありがとう」という意味で、ごちそうさま。という事を伝えることが出来ました。

毎日ご飯が食べれて、楽しく遊ぶ事が出来て勉強も出来る。
時々はおもちゃも買ってもらうことも出来る。
とっても幸せなことだよね。だから大切に生きようね。
息子とそう話してこの話しは終わりにしました。

私も嫁さんも、毎日忙しく働く毎日で、気がつけば不平不満を口にすることがあります。
今回息子に話しをすることで、逆に今の幸せを教えられた気がします。
何事も無く過ごせる日々。こんな親の元でも成長している息子と娘。
本当にありがたいことなんだと思います。
明日からも何事も無く、家族皆で生きていけますように。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:58 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
死ぬことを恐い、悲しいと思うことは人としてとても大切な欠かせない情感だと思います。だからこそ、自分も他人も、もっと大きく自然界の総てのものを大切に出来るんだと思います。
息子さん、繊細で情感豊なんですね。
でも、死んだらどうなるかの答えに確信を持って答えられる人はまれですね。一般にクリスチャンは白黒が明白ですが、それでも意見の分かれることもあります。未だに、私もいろいろな人に尋ねたり、本を読んだりして考えています。
Posted by 春眠 at 2007年04月03日 16:01
春眠さん、本当にビックリしました(^^;)
あまりに突然のことで、どう話していいか分からないまま、自分なりに感じている事、思っていることを息子に一生懸命話しました。
「死」ということを初めてリアルに感じ、恐怖心でいっぱいになってしまったのでしょうね。
今回のことで、息子も命の大切さを少し理解してくれたことと思います。
Posted by island at 2007年04月03日 23:50
かつて私もアイランドさんの奥様と同じ職業についていましたので、たくさんの死の場面に立ち会っています。

小児科が長かったのでその場に立ち会った、ただの1度も涙しなかったときはありません。
職業柄、失格とは思っていましたが相手は子供です。
楽しいことをほとんど何も経験していない子供です。

自分の子供に『死』について1度も聞かれずに大きくなってしまいましたから、アイランドさんのお子さんへの説明はとてもすばらしかったと思いますし、参考になりました。
優しい絵を描かれるアイランドさんならではですね。
Posted by ladymama at 2007年04月04日 09:44
ladymamaさん、看護師されていたのですか。
小児科だと尚更辛いですよね。
職業柄失格だとは思いません。人間なら当然涙することでしょう。
それだけ看護に心を込めている証だと思います。

小児科という文字で、昔息子が入院した時のことを思い出しました。
1週間程の入院で、私と嫁さんが交互に付き添っていたのですが、同じ病室に12〜3歳の白血病の子供がいました。
子供なのに妙に大人びた口調で話す子で、とても礼儀正しくて「なんでこんな言い子が・・・」と、不動理を感じたものです。
ある日、医者の説明を聞きにお母さんが来ていました。
その後、検査のために子供と医者は病室を離れ、お母さん一人病室に残っていました。
私はまだ1歳の息子をあやしながら、ただたたずんで遠くを見ている、そのお母さんの後ろ姿を何とも言えない気持ちで見ていました。
本当に切なくて、でも、何も声をかけることができなくて、ただただ同じ空間で時間を噛みしめている感じでした。

私は息子に「死」について、自分なりに一生懸命話しましたが、息子が健康でいてくれるから話せることです。
改めて家族が皆、健康で共に暮せる事のあり難さを思い起こされました。
Posted by island at 2007年04月05日 01:35
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