2017年02月13日

突然の出家報道に思う

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突然の引退宣言に芸能界が揺れていますね。

女優の清水富美加さんが、突然引退を発表し、幸福の科学に出家した。
あまりにも突然すぎて、誰も対応ができていないようです。
幸福の科学から伝わる、本人の声と、事務所側とのあまりにも食い違う言い分。
このままだと法廷に持ち込まれる可能性は大です。

日本には宗教の自由があるので、誰がどの宗教を信仰しようとも、それは自由です。
しかし、これまでお世話になった方々や、まだ契約途中の仕事を、突然断ち切って出家というのは、プロとして、いや社会人としてあるまじき行動です。
レギュラー番組もあり、公開前の映画もあり、他にも多くの仕事が決まっていた。
もう大混乱です。

幸福の科学側も、その辺は考慮しなかったのでしょうか?
「人の幸せ」を祈るのが宗教のはず。
それが大勢の人に迷惑をかけ、不快な思いをさせている。
これで「幸福の科学の教えは素晴らしい」と称えられても、誰も良いとは思わないでしょう。

「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があるように、辞めるなら綺麗さっぱり片付けてから引退すべきです。
本人は辛いことも多々あったのでしょう。
しかし、それでもプロである以上は、ちゃんと幕引きをすべきでした。

今後、出家して幸福の科学で何をしていくのか?
広告塔になるような気もしますが、今回の件で、むしろ逆効果のような気がします。
私の考える宗教観とは真逆の結果ですね。

先日も宗教についてつぶやきました。
私は信仰というのは、日常生活の中にあるべきだと思っています。
全てを投げ出し、非日常の中で修行するのも信仰かもしれませんが、それは特殊だと思う。
それだけが信仰だというのなら、宗教は成り立ちません。

それぞれに家庭を持ち、仕事を持ち、その中で様々に悩むことがある。
悩み苦しみ、大きな壁を乗り越えるために、信仰があり、心の拠り所となる。
大勢の悩み、苦しみを緩和し、己の心で乗り切る手助けとして信仰が必要なのです。

今回の件は、「自分が苦しいからそこから逃れる」という風に見えます。
苦しい時こそ、自分の信じる信仰とともに、自分の役割を果たすことが大事。
本人がどれだけ辛かったのかは、本人でないとわかりません。
本当に辛かったのでしょう。

しかし、そうやって、「辛ければその場から逃げる」のでは、何をやっても続かないと思う。
果たして幸福の科学の中で、自分の思い描いていた幸せが築けるだろうか?
また同じような悩みが出てきて、自分の力ではどうしようもなくなると、また逃げ出したくなる。
そんな気がしてならないのです。

今後は宗教家として、人を幸せにして行きたい。と語っている清水富美加さん。
誰かを幸せにしたいと思うのなら、まずは自身が強くならなければ、人を幸せに導くことなんてできません。
苦しみを味わい、血も涙も流し、自分の気持ちと戦って、大きな壁を乗り越えてこそ、人は誰かに対して優しくなれる。
優しさの裏側には、表にでて来ない強靭な心があります。
心が弱いと、人は自分よりも弱い者を攻撃する。
だからいつまでもいじめがなくならない。

幸せとは、誰かから授かるものではないと思う。
自らが感じ、自らの中で育てていくのが幸だと思う。
辛いことに一つ足すだけで、幸になる。
辛くてもそこに考えを一つ足すだけで、幸せな気持ちになれる。

幸せは自ら生み出し、育てていくもの。
しかし人は本来弱いもの。
転んだり壁があったりすると、とたんに幸を忘れる。
そんな時に一つ足すことを思い出させるのが、宗教の役目であり、信仰であると思う。

宗教って特別なことじゃない。
信仰は日常生活の一部。
今回の件の報道を見るたびに、そのことを強く思います。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:45 | Comment(0) | 私の思うこと
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