2016年11月19日

私もいつかは高齢者ドライバー

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今、高齢者ドライバーの事故が問題視されています。
人間は年齢とともに、体力・視力・聴力、そしてとっさの判断力が鈍っていくもの。
高齢者になれば、運転能力が落ちていくのも当然のことだろうと思います。

それを自覚できて、自分で運転を控えるようになれば、それが一番良い。
しかし、実際はそうはいかないのが現状でしょう。
誰だって歳はとりたくない。
いつまでも自分の意識は、若いままでいるものです。

私だって、気持ちはいつまでも20代のまま(笑)
しかし、実年齢はプラス30歳ですから、気持ちと身体にどんどんギャップが生じてくる。
昔ならなんなくできたことが、どんどんできなくなってくる。
でも気持ちはいつまでも「できる」と思っている。

今、問題とされている高齢者の運転も同じだと思う。
誰もが「自分は運転できる」という気持ちがあり、運転に自信もあるのだと思う。
だからこそ、運転ミスを起こした時に、パニックになってしまうのではないでしょうか。

テレビニュースで目にする高齢者ドライバーの問題。
しかし、今日は実際に自分の身で体験することとなった。
直接的ではないのですが、高齢者ドライバーの運転に遭遇した。

今日は土曜日で、17時から剣道の稽古。
娘たちを乗せて、そしてちょっと病院に雑用にいく嫁さんも乗せて、車を走らせていました。
病院近くの交差点で信号待ちをしていた時のこと。

私の前には4台ほど、信号待ちの車がいる。
その時、クラクションが鳴り響いた。
最初は交差点で曲がる車に向けて、対向車が鳴らしているのだと思い、気に留めていなかった。
ところが、しばらく信号待ちをして、こちらが青信号になった時のこと。

なぜか青なのに、車が全く動かない。
そして、再びクラクションが鳴り響いた。
ずっとクラクションが鳴っているのに、車が全く動かない。
そしてとうとう信号が変わってしまった。
青信号になったのに、1台も車が動いていない。

事故か何かあったのか?
そう思っていると、前から2台の目の車から女性が降りて、前の車に向かっていった。
私の方からはよく見えないが、助手席の嫁さんからは、女性が降りて、前の車に話しかけていた様子が見えたらしい。
そして女性は私たちの前の車にも、何から話しかけていた。

再び信号が青になり、ようやく車が動き出した。
先頭にいて動かなかった車が、左折して国道を走って行った。
車には高齢者マークがついていた。

嫁さんと話していたのだが、もしかすると一時的に意識がなくなっていたのではないか?と話していた。
あれだけクラクションが鳴っていたのです。
気づかないはずがない。

左折していく高齢者ドライバーの車を横目に見ながら、とりあえず嫁さんを病院の前で降ろした。
そして再び国道に合流するために、病院から車を走らせ、国道に合流する交差点で信号待ちをする。
すると左側に見覚えのある車が。

なんとあの高齢者ドライバーの車が、信号待ちをしている。
どう考えてもおかしい。
こちらは、遠回りをして、途中で嫁さんを降ろし、再び国道に合流している。
高齢者ドライバーの車は、左折してずっと国道を走っていたはず。
どう考えてももっと先に走っていっているはずです。

まさか、また途中の信号待ちで、止まっていたのでは?
真っ先にそんな思いが脳裏をよぎりました。
そんな私の心配をよそに、高齢者ドライバーの車は、私の目の前を走り去って行きました。

やはり怖いですね。
でも、高齢者も車がないと困るんですよね。
私だって、いきなり車がなくなったら、行動できません。
高齢者もやはり車がないと困るのです。

車は自動運転の技術も、どんどん進化しています。
是非とも、この技術を生かして、高齢者でも安全に走らせることができる車を開発してほしいです。
高齢者だからと切り捨てるのではなく、不足する部分は、機械の目を借りて、なんとか安全に運転できる社会にしてほしいと思います。

私たちだって、いずれ歳を取る。
自分ではまだまだ運転を楽しみたいと思っている時に、「運転はしないでくれ」と見られたくない。
運転が楽しみという高齢者も多いだろうし、生活になくてはならないものになっていると思う。
運転能力を確かめて、大丈夫な高齢者には、どんどん運転してもらっても良いと思う。

大切なのは、高齢者自身が自分の運転能力を自覚すること。
そして将来的には、高齢者の不備な部分を、技術でカバーできる時代になってほしいと思います。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:54 | Comment(0) | 私の思うこと