2013年09月05日

体罰の何が問題なのか

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【写真は産経ニュースWeb版から】

問題続きの柔道界で、また体罰の問題が浮上して来ました。
しかも、今度は私の住む町の天理大学で。
上級生が下級生達の練習態度を理由に、下級生を集めビンタした。
その内の一人が鼓膜が破れる負傷をした。

テレビニュースで流れた映像は、いつも剣道の稽古で見慣れた風景。
あまりにも身近で起きた事に、ビックリしたと同時に、身近過ぎて実感があまりありません。
いろいろと騒がれた柔道界ですが、先の大会で男子柔道が復活の兆しを見せただけに、やはり残念な気持ちです。

ただ、今回の問題は、一連の問題とは若干違います。
指導者が体罰をしていた訳では無い。
上級生が下級生に対して体罰を与えた。
問題は部長である指導者が、その事実を知りながら、柔道連盟の理事に就任していた事。
速やかに事実を柔道連盟に伝え、理事就任を辞退すべきでしたね。

今、社会では何かと体罰が問題視されています。
しかし、単純に「体罰=悪」と決めつけるのは、逆に危ないと思います。
私も子供の頃は、先生にビンタやげんこつなんて、しょっちゅう受けていました。
でもそれは、「自分たちが悪かった」という気持ちがあるから、素直に受け入れていました。

今の時代、教師が手を挙げようものなら、大問題として大騒ぎになる。
私の子供の時代には当たり前だった事が、大問題として取り上げられる。
だから学校の先生は、決して手をあげなくなりました。
その事が本当に良かったのか?
私は疑問に思う。

今回の天理大学の問題。
上級生と言えば、もう二十歳を超えている。
一方の下級生も18歳や19歳。
言ってみれば、もうどちらも大人です。

幼い子供であれば、口で言って解らなければ、体で覚えさせる。という事も理解できる。
しかし、どちらも大人。
ビンタしないと解らないような、そんな年齢ではないと思うのですが。

学校の先生が、手をあげなくなってから、体で痛みを覚える子供は少なくなったでしょう。
ぶたれる事の痛み、そしてぶった側の気持ち。ぶたれた時の悔しさと情けなさの気持ち。
そんな気持ちを知らずに育った子供達は、人の痛みを解るのでしょうか?
変な話ですが、ビンタするにもコツがあると思う。
昔はビンタする側も、される側も、ちゃんとやり方を体で覚えていました。

体罰にもいろいろあると思います。
本当に改めないといけない問題もあれば、そこまで騒ぐ事もない場合もある。
「体罰」という言葉だけが一人歩きすると、何かちょっとでも体に痛みを覚えたら体罰と騒がれる様になる。
一時期「セクハラ」が問題になった時も、同じ様に「元気か」と、肩をポンと叩いても、その相手に寄ってセクハラにもなれば、好意的にもなる。
同じ様にビンタを受けても、受け取り方によって、体罰にもなれば、有り難い気持ちにもなる。

怪我を負わす事は絶対にいけない。
しかし、ある程度、体で覚えさせるための試練は必要です。
それをどこまで体罰と言うのか。
何もかもがひとくくりに「体罰」とされると、指導者は何も出来なくなって行くと思います。

話があっちゃこっちゃに飛んでしまって、まとまらなくなりました(^^;)
身近な所がニュースで流れたので、少々同様もあるのかも。
問題は複雑です。
単純に「体罰=悪」と見るのではなく、何が問題なのかをじっくりと考える事が大事だと思います。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:02 | Comment(2) | 私の思うこと