2009年10月05日

日本再生の指針

中川昭一氏の訃報から一夜明けて、今日のワイドショー等では「突然の死」として取り上げられていたようです。
しかし、相も変わらず2月の「もうろう会見」を引き合いに出し、その結果落選した等と報道しているようですね。
もっと正確に報道して欲しいです。「落選した」では無く「落選させた」が正しいと思います。
マスコミのネガティブキャンペーンの大成功の結果だったのですから。

スミマセン。のっけからかなり厳しいつぶやきですが、本当にマスコミの報道にははらわた煮えくり返っています。
自分たちが散々問題のシーンばかりを、繰り返し繰り返し流して、ネガティブキャンペーンをやりまくった結果だと言うのに。
まぁそれにまんまとはめられてしまった、国民も問題なのですけどね。

番組によっては「大変政策通で日本の将来を考えていた貴重な政治家だった」と評価しているものもありましたが・・・・・。
それならもっと正しい報道をして、中川氏の実績などを出して欲しかったと思います。
死んでから「貴重な人材を失いました」では、何の意味もありません。
本当に日本の国益にとって、中川氏の死は大打撃なのです。

中川氏の実績の一部を紹介します。

◎農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に 輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。

◎財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。

◎政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。

◎拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。

◎経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。

◎毎年靖国神社に参拝することも欠かさない。

◎非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。

◎日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。

◎官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。

◎中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。

◎勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だったとのこと。

↓そしてあの「もうろう会見」の時の実績がコレ。
◎IMFの専務理事ストロスカーン氏は、「日本による貢献と融資は、これまで人類の歴史で最大」とまで絶賛した。これは金出しただけでなく、各国をまとめることで世界大恐慌を回避させたことを意味するのだ。
日本のIMFでの指導実績が世界中に宣伝され、日本が世界でリーダーシップを発揮したことをアピールできた。あの酩酊会見は、その直後の出来事だった。
付け加えるならば、あの状態を飲酒によるものだと断言していたのは日本のマスコミだけであって、諸外国の記者たちは「風邪だと聞いていたが大丈夫だろうか」と心配してくれていたそうです。

本当に日本を護る、日本の国益を一番に考えていた政治家です。
今の総理のように、各国に出向いては四方八方にいい顔をしているのとは、分けが違います。
本当に日本に必要な、大切な人を失ってしまいました。

中川氏が自信のホームページに、これからの意気込みを語っていました。
これも紹介させて頂きます。

===【中川昭一オフィシャルサイトより転記】========================
 私の選挙が終わった。多くの人々が仕事、家庭、お盆を犠牲にして私の為に戦ってくれた。選挙区外からも大勢の人々が駆けつけてくれた。そして、それぞれの選挙運動を一生懸命やってくれた。朝6時頃、選挙事務所を飛び出して行く人たち、一日中車のハンドルを握ってくれた人たち。毎日毎日運動靴を履いて、雨や汗にまみれながら、一軒一軒「お願い」に行く人たち。相手から怒鳴られたり、泣かれたり、また励まされたり・・・・。皆、事前から危機を共有していたのでエネルギーは質・量とも感動的だった。
全国から毎日たくさんの激励・応援の手紙やメール等々も頂いた。事務所の何枚もの大きなボードに掲載したが、どんなに励みになったか。

 それでも負けた。活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると誠にありがたい。かつ申し訳ない。悔しい。しかし、十勝の総意として、私は否定された。敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは「十勝が危ない」「日本が危ない」が有権者に受け入れられなかったことだろう。

 選挙中、周りの人からは「あまり民主党を攻撃するな」と言われた。もちろん自分の主張はしたが、マスコミは既に我々の敗北が決まった様な報道をしているので、そうなれば「大変なことになる」と訴えざるを得なかった。「泣け」とか「土下座しろ」というアドバイスもあったが、私には出来なかった。この間2度公開討論会があり、「これが選挙のあるべき姿だ」と思い大変重視したが、全く「討論会」にならなかった。形式的で3人で1時間半しかない。入場者も議論に参加した、候補者が主役で、候補者の主張の違いが明確になる「朝まで討論方式」でなければ意味がない。12日間、大音量で連呼を続け、人々と動物等に多大な迷惑をかけた。改めて「全ての十勝」に感謝と御礼の気持ちでいっぱいだ。

 それから2週間経過し、十勝は夜を徹して収穫の真っ盛り。コスモスが咲き乱れている。マスコミは新政権の行方と自民党の混乱、そして事件・事故報道ばかり。予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が着々と進んでいる。そんな中JALの経営危機問題。この問題は永年の労組中心の高コスト構造と甘い経営に尽きる。アメリカのGMと同じだ。労組は「自分達の労働条件が悪化すると乗客の安全性が保証できない」と客の生命を人質に脅かしている。新政権になれば、ますます労組の主張が通るだろう。だからこそ、日本と日本人を守るために自民党がしっかりしなければならない。
 ところが・・・・・。
 党内議論は「若手に主導を渡せ」「上の人間は出て行け」「派閥をなくせ」・・・・。党がおかしくなると感じた時に、毎回「セミ」のように騒いでいる。近くは、今回解散前、遠くは今から16年前の記憶が私には鮮明だ。
 平成5年、我々は負けて野党になった。(私は当選したが)。やはり、不況、悪天候で不作、年末にはウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で細川内閣は「無条件降伏」をした。あの時も党内で上を下への大議論をやった。しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で党再生の本格的議論が始まった。私も参加して、各分野ごとに、日本の為に党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを連日議論した。そして一年後、政権政党に戻った。その前提は唯一つ「保守」であった。
 そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。
  「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進―地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。
 私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。
 自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。
P.S. 過日、麻生総理の「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」という主旨の報道があった。それが総理の本音であり、総理という立場の判断の辛さだと思う。私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先にすべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣つまり私だからである。何よりも政局より、政策実行の為に。総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。私も議席を失ったが、あの時の判断は、その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。

私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。「日本が危ない」から。
===【転記終り】=======================================

何故、この大事な時期に中川氏は逝ってしまわれたのか?
神様は何故、日本に必要な方の命の灯火を引き取られたのか?
本当に残念でなりませんが、中川氏の志はきっと多くの人に受け継がれたと思います。
これからの日本を再生する意味で、中川氏は御霊として後押ししてくれる事でしょう。

これまでこんなに多くの人に惜しまれた政治家がいたでしょうか?
残された保守政治家は、中川氏の信条を受け継いで、しっかりと日本国の為に尽くして頂きたいと思います。
そして私たち国民も、しっかりと日本のこれからを考え、日本人として日本の再生に頑張らなくてはいけないと思います。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | 私の思うこと