2008年06月09日

秋葉原通り魔事件から感じる事

衝撃の事件から一夜明けて、今日のテレビニュースはやはり昨夜の秋葉原通り魔事件一色になっていました。
昨日まで分からなかった情報も、出始めています。
しかし、どの番組も「何故こんな事件が起きてしまうのでしょう?」と、疑問を投げ掛けるだけで、何一つ結論を出せずにいます。
犯人の身勝手な行動を理解する事自体が不可能に近いので、なかなか事件の真相は見えてこないと思います。

手がかりとしては、やはり犯人の生い立ちにあると思えるのですが。
この手の事件が起きる度に、報道番組はこぞって犯人の学生時代のエピソードや、近年の知人・友人達の犯人に対する印象を流します。
そして、決ったように「おとなしい感じだった」とか「成績は良い方で目立たなかった」等の言葉が出てきます。
その反面、犯人の異質な面が出ている卒業文集等も出てきたりします。
実に良く似通った、共通の特徴がある気がします。

この背景にあるものは一体何なのか?
毎回このような事件が起きる度に、考えさせられています。
私はやはり、戦後の日本の教育を含む、間違った思想の行き過ぎが生んだ、病んだ世界なのではないかと思います。
自由がもてはやされ、個人の尊重が無限に広がり、秩序や道徳が崩壊したことこそが、今日の日本の病んだ原因なのではないでしょうか?

確かに自由は素晴らしいことです。
人は生まれながらに自由であり、生きる行く中で尊重されなければなりません。
しかし自由には必ず責任が伴います。そして尊重されるためには、まず自分が自分以外の人を尊重しなければなりません。
それが秩序であり道徳なのだと思います。

今回の犯人も、中学時代までは成績もトップクラスだったのが、高校に入って成績優秀な者ばかりの中で落ちこぼれていったようです。
本人にとっては高校から今まで人生負けっぱなし・・・・という事だったらしい。
そもそもここに疑問を感じます。
「人生の勝ち負けって何?」と聞きたい。
生きていく上で勝ちも負けも無いはず。生きていること自体が勝ちであり、素晴らしい価値なのだと思う。

私達には生きていく上で、好きな学校を選択でき、職業も自由に選択できます。
しかしそれには努力が必要です。誰でも好きな学校に行けるわけではありません。
そして職業も誰でも就けるわけではありません。
自分の願いが叶わなかった時、夢が果たせなかった時、人は挫折し落胆します。
例え願いが叶い、希望する職種に就いたとしても、そこは理想とはかけ離れた世界の場合が多いのです。
理想と現実のギャップがそこにはあります。これはどんな職業でも言える事で、一見華やかに見える職種ほど、理想と現実のギャップが大きいのかも知れません。

誰でも皆、そんな挫折を経験し、落胆した中から這い上がって、自分なりの価値観や希望を見つけ出していくのです。
挫折を味わい、悲しみ傷ついて初めて、人の心の痛みを知り情けの有難みを知るのです。
それを知らずに大人になり、壁にぶち当たった時に、その壁を乗り越える努力もせず、壁が有る事がいけないと憤慨し、自分を正当化する。
それが「世間が悪い」「世の中が嫌になった」そんな気持ちになっていくのではないでしょうか?

人は幼少時代から、小学校・中学校・高校と成長していく中で、時には友達とケンカもし、親に反抗して育つものです。
それは一人の自立した大人に成長する当たり前のことだと思います。
友達とケンカしてぶつかり合い、お互いの心の痛みを知り、相手を思いやることを覚える。
そして親に反抗し、親とぶつかり合い、親の子を思う心を知って愛情を覚える。
日常生活の中で、ぶつかり合い時に傷つけ、傷つけられて心の痛みを知ることが出来るのです。
挫折感を味わった時、そこから這い上がる努力をした時、周囲の差し伸べる手の温もりに、情を感じ取る事が出来るはずです。

今の日本は本当に危機的状況にあるのかも知れません。
このような犯罪を防ぐ事は緊急の課題です。
しかし、もっと大切なことは、そんな犯罪者を生み出さない日本にすることです。
日本本来の武士道の精神を受け継いだ教育を、今一度見直していく必要があると、私は思います。
人を敬い、相手を立てて、謙虚な気持ちで生きていく。
戦後のアメリカ支配の中で、日本人に塗りかけられた西洋的思考が、時を経て徐々にメッキがはがれ落ちて来ている今日。
私達日本人は、本来の日本人の価値を、本当の日本人の思想を取り戻さなければいけないと、強く思うのです。
posted by island(ふくはらしゅんじ) at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私の思うこと